《コロナ禍で軽井沢で起きていること》
今回のコロナ禍を通じて、軽井沢で起きている様々な変化から、多くの気づきや学びがあります。
年間870万人の国内外の旅行者が訪れていた軽井沢に、大きな変化が起きています。
今年の春節までは、台湾・香港・シンガポール・中国など中華系のインバウンドが、多く訪れていた軽井沢は、新型コロナウイルス感染拡大による、政府の出入国の制限や緊急事態宣言発出後、様変わりの様相を呈してきております。
軽井沢の観光に大きな影響を持つプリンス系のアウトレット、ホテル、ゴルフ場が、4月27日より5月末まで、休業要請を受けて、すべて臨時休業に入りました。
主だったホテル、レストランの多くが4月後半より休業に入り、今年の大型連休中の軽井沢は、いまだかつてない静かなまちとなりました。
緊急事態宣言の発出で、外出自粛や、都道府県をまたいだ移動の自粛要請、さらに地元の観光施設が休業することで、軽井沢の存在価値について、改めて気づかされました。
軽井沢町は、現在人口2万人、10,000世帯が住んでおり、住民票は持たない住民の約16,000棟の別荘が存在します。
例年別荘族は、ゴールデンウイークから秋まで、別荘を開き軽井沢の滞在を楽しみます。
近年は、高齢化に伴い、シニア世代が首都圏と軽井沢の二地域居住を楽しみ、通年で軽井沢に滞在する人たちが、増加しています。
私のように16年間の二地域居住を経て、昨年より軽井沢定住に切り替える人たちも、シニア層で増えてきました。
標高約1,000mの軽井沢は、新幹線で東京まで1時間ほどの地の利と、地球温暖化により、年々冬季期間の寒さが和らぎ、一昔前に比べると冬も過ごしやすくなってきているのも、増加要因のように思います。
軽井沢に、なぜ16,000棟もの別荘が存在するのでしょうか。
1886年(明治19年)にカナダ生まれの英国聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが軽井沢を訪れ、その美しい清澄な自然と気候に感嘆し、その素晴らしさを家族や友人に推奨し、その夏避暑にきたのが、避暑地軽井沢の誕生のきっかけとされています。
2年後には、旧軽井沢の大塚山に簡素な別荘を建て、内外の知名人に軽井沢は保健と勉学に適地と紹介し、友人の外国人宣教師の別荘が年を追うごとに建ち始めていったようです。
従って避暑地としての初期は、外国人宣教師とその家族が大半であり、必然的にキリスト教的風潮の強いまちとなりました。
「善良な風俗を守り、清潔な環境を築こう」という高潔な精神が、国際保健休養地としての輝かしい伝統と歴史を貫く「軽井沢憲章」の根底となり、軽井沢を支えてきたようです。
軽井沢の長い歴史については省きますが、現在でも「軽井沢町民憲章」を町是としており、「国際親善文化観光都市」にふさわしい緑豊かな町であり続けること。
そして世界に誇る清らかな環境と風俗を守り続ける思想が、軽井沢の原点であることを、今回のコロナ禍で、再認識しました。
《日本最大のサードプレイス》
ファーストプレイスを生活の基盤の自宅とすると、セカンドプレイスは、仕事場、会社、学校等。サードプレイスは、自分を癒したり、自分に還る場所。
今回のコロナ禍は、軽井沢は本来、日本最大のサードプレイスであることを気づかせてくれました。
現役時代の私の場合、東京はファーストプレイスとセカンドプレイス、軽井沢はサードプレイスとして、長年生活してきました。
自身のリタイアでライフステージが移行したことにより、サードプレイスを、ファーストプレイスやセカンドプレイスに転換できることも実体験しました。
さらにICTイノベーションが進み、デジタルネットワーク社会が進化し、コロナ禍で企業人はテレワークを余儀なくされても、組織は運営されています。
Zoomミーティングのようなテレワークを支える新たなツールも開発されてきており、New Work Wayは着実に進展しています。
軽井沢ではすでに、コーワーケーションやリゾートテレワークの実証活動が、熱心に行われてきました。
別荘族の2~3割は、例年より1ヵ月半ほど早く軽井沢に「コロナ疎開」し、テレワークを実践しております。
必要に応じて東京には、新幹線通勤するという、まさにサードプレイスを、ファーストプレイス、セカンドプレイスにシフトして、コロナ禍を乗り切るという、柔軟な働き方や生き方を実践される方が、増えてきています。
コロナ禍で、ワークスタイルやライフスタイルを転換する人々が急速に増加していくことが予測されます。
幼小中の一貫校の「軽井沢風越学園」は今年4月開校し、子育て世代が大勢軽井沢周辺に移住し、新幹線通勤者数も、一段と増加傾向にあります。
ただし現下、企業のテレワークの推進で、新幹線通勤の利用者が、急減している現実を見ると、コロナ禍がもたらした社会変革は、想像以上のスピードで進んでいると捉えております。
当面はWith コロナで3密のないライフスタイルやワークスタイルが求められており、東京に新幹線で1時間と地の利のある軽井沢の存在が、改めて大きくクローズアップされる予感がいたします。
《軽井沢にふさわしい価値とは》
軽井沢の住民は、主に住民票を持つ既住者、移住者と、別荘やセカンドハウスを保有し住民票を持たない、二地域居住者で構成されます。
異文化コミュニケーションの重要性と、町民の10,000世帯をはるかに上回る、約16,000棟の別荘の存在は、日本最大のサードプレイス(自分が自分に還る場所)であることを、為政者は再認識する必要があります。
人口約2万人のまちが、夏の最盛期には10倍にも膨れ上がる関係人口を保有しております。
年間870万人の交流人口(国内外の旅行者の来訪)の求心力となる、日本最大規模を誇るアウトレット(軽井沢・プリンスショッピングプラザ)の存在に、何かと目を奪われがちです。
しかし軽井沢町は、最高品質のサードプレイスを実現することが、即ち軽井観光協会が志向する「ウエルネスリゾート」を具現化する道につながるように思います。
真冬のスイスに世界のリーダーたちが集い、知を交流する「ダボス会議」のような、知的な保養地の実現こそが、将来の軽井沢の可能性を示唆しております。
近年軽井沢では、日本の新しい教育の在り方を目指した、目を見張る取り組みが行われています。2014年設立された、UWC(United World College)ISAK(International School of Asia Karuizawa)JAPANは、チェンジメーカーを育む、日本初の全寮制国際高校です。
UWCは、人々や国や文化を結び、平和と持続可能な未来に貢献することを理念に掲げる、世界の非営利教育団体です。
2017年日本で唯一、世界で27番目の加盟校となりました。さらに国際バカロレア機構の認定校となり、卒業生は世界の大学に羽ばたいています。
そして今年4月、幼、小、中の混在校の「軽井沢風越学園」が、開校しました。
創業期の楽天副社長であった本城慎之介氏が、私財を投じて2万坪の敷地に、日本の公教育のモデルの実現を目指して設立しました。
本学に入学させるために、多くの子育て世代が、軽井沢周辺に移住しました。
国立公園内にあるキャンプ場を活かして、「自然体験活動を通じて、子供たちの生きる力を高める」ことをミッションにしているライジングフィールド社森和成氏は、企業人や団体職員教育、そして教育者改革研修にも力を入れております。
〈日本の新しい教育改革は軽井沢から〉を率先垂範するISAKの代表理事小林りん氏、「軽井沢風越学園」理事長本城慎之介氏、ライジングフィールド社代表取締役の森和成氏は、いずれも40歳代のリーダーたちで、お互い連帯しております。
さらに医療界にも、本年4月より東大病院より軽井沢病院に赴任した芸術・文化に造詣が深い稲葉俊郎医師、ケアの文化拠点を目指す「ほっちのロッジ」の共同代表紅谷浩之医師など、これまた移住して変革を志す40歳代の医師たちです。
次代を担う変革者たちが続々軽井沢に移住し連帯し、軽井沢の新しい価値を創造していることに、私は注目しています。
さらに近い将来、産官学連携ができる、大学の大学院キャンパス誘致や、研究所の誘致が実現すれば、上述の軽井沢発の教育改革とのシナジーも期待できます。
軽井沢には著名人の別荘ばかりでなく、大手企業のゲストハウスや保養所も多く、人的交流には恵まれている環境です。
軽井沢町、東大先端科学技術センターと信州大学社会基盤研究センターとの包括連携協定締結などの動きが、きっかけになれば良いと考えております。
特に別荘やセカンドハウスを持つ二地域居住者は、海外体験豊富な国際人や、芸術・文化人、政官財のトップ人材が多く、こうしたまちのインテリジェンスを高める取り組みには、投資を含めた強い関心が寄せられ、協力者が増えるものと推測されます。
すでにISAK設立でも実証済みです。
別荘族は、町に固定資産税、都市計画税、町民税等を納税しており、とかく町民が利用する公共施設への投資に偏りがちな行政への、不満を抱えているのも事実です。
サードプレイスである町の価値を、一段と高める施策を求めております。
民間企業にも、次回の日本でのG7サミットの開催地に、軽井沢が立候補するための大型設備投資計画があるように聞いています。
新しい発想のビジョンを掲げられる、まちのリーダーの出現が待たれます。
アルカンヴィーニュフォーラム
「千曲川ワイン倶楽部」
代表 小山 眞一